昭和49年10月18日付 

ゼンマイが切れた時計の教訓

S病院の元院長N先生から聞いたお話をご紹介する。

「懐中時計のゼンマイが切れたので、市内で一番大きい時計屋で修理をたのみ、約束の期限にその時計屋で受けとり、歩きながら時計を合わせようとした。ところが、長針と短針がカチ合って動かない。すぐ引き返して先ほどの小僧へ“君これではダメだよ”といったら“あなたはゼンマイが切れたから、直してくれといって持ってこられた。それでゼンマイを直してあげたのです”。そこで私は、“君、時計というものは時を計らなきゃダメじゃないか、おやじさんをだしたまえ”といって、おやじさんにこのことをはなしたら、平身低頭謝ったが、私もその小僧から良い教訓を得て、今でもありがたく、ほほえましく思い出すのです。
その後S病院へきて入院患者を回診中、一見かなりの貧血のある婦人がいて、係りの医者の話によると、あす退院されることになっている。病室の外に出てから“あのご婦人は家庭の都合で退院されるのか”と聞くと、“腹痛で入院してこられたが、その痛みがスッカリとれたので退院されることにしている”と。そこで私は、痛みがとれたから、それで医者の任務がすんだと考えるのは大きな誤りだ。その他にもう一つどうしたら健康で長生きできるか、その人に忠告してあげるのが本当の医療である。患者の悩みだけを除いて事足れりと思っている医者は一介の職人にすぎないと言ったことがある」

このお話にこんな続きがある。

高名なS先生が日韓会談主席代表としてお忙しい時、健康診断を受けにS病院に来られた。精密に進んで眼科に案内された時、S先生はご迷惑なご様子で「院長にほんのちょっと診てもらうつもりできたのであった。こんなに目まで診てもらうつもりはなかったのに」と。

翌日Y院長が診断の結果を知らせにうかがったとき「実はちょっと聞いていただきたいことがあるのです」と院長が前置きして時計屋の小僧の話をS先生にされたのである。「やあ、よくわかった。昨日はすまなかった。今の話は大変おもしろい、いい話ですネ」とひどく興味をひかれたご様子であった。

その後、S先生が入院なさってベッドにおやすみになるや否や「あの時計屋の小僧の話ネ、大変おもしろいもんだから二,三カ所でうけうりしましたよ。実業界でもあの小僧と同じようなことをやっていますからな」と言われたというお話である。

(写真家・ハナヤ勘兵衛)