昭和49年11月15日付 

あかんなあー!!

写真の友達が一度集まることになって、東京、大阪、神戸などから箱根によってきた。議長と司会が東京の人で話に入る前に、「この会の名称はどうするか、会員総会か懇親会か、目的は何か、この種の集まりを続けるか、もしやるとすれば年何回にするか、そのときは場所はどこにするか・・・」について四十分間、司会と議長の二人の間だけで話のやりとりが続いたのである。

関西から行った我々は、どういう風に納まるのか、ポカンとして聞いていたので、関東と関西の違いを痛感した。

関西では、こんなとき世間話に始まって、まず適当に各地の状況を披露し合い、意見の交換と感想、今後の進み方などを相談し合って最後に「この次はどうする、来年にする、場所はまた幹事でユックリ決めてもらおう、トニカク良かった。さよなら!!」ということになる。

関西は卵の中身から始まって外側の形はなるように調整してゆく方式で、関東はまず外側の殻の形をハッキリきめて、中身へ向かう方法をとるように思った。

この話をFフィルムの大阪支社長にして「会議々々で東京に集まるときは、東西の違いに十分留意?」といった。支社長「そらそうですがナ、東京で○○の販売についての会議に、心でナニクソ大いに売ったると思っていて、口では「マアぼつぼつでんナァ」テナことをいうたら、一ぺんにアカンことになりますワ」

大阪では“ボツボツ”はまずまず順調。“あきまへん”はそこそこ売れているが、相手に対して謙遜(そん)していることばである、と言われている。

お花の未生流家元H先生にこの話をして、ご感想を聞いた。

先生「関西では、皆それぞれが意見をいい、その程度で散会しますナァ。関東の人が聞かれたら、何もきめずに一体何をしに集まったのかと思うでしょうが・・・結構、世話方や幹事が皆の意見を調整して大体の線を出します。それで不都合もおこらずに進んでゆくわけですナ」

やはり、お花のH先生の方でも我々と同じことであった。


私の友人Aから良い話を聞いた。定年すぎて閑職になったAに、年来の友人Bが自分一人では具合が悪い、いっしょに案内してくれと言った。Bは資産もできAより年長で若いときからの謹厳居士でもあった。それで何をしたいのかとAがBに問うと「うまいもの」を食いたい「旅」もしたいとのことである。ではさし当たっていっしょにどこへでもゆくから食道楽の方を先にしよう。どこにするかBに方できめたら良いとAが言った。

やがてきょうは三軒回ることになって二人が出かけた。ひるまえに第一の店に入り午後次の店へ行ったが、どうもBが勝手悪そうにするので、Aがどうしたのか聞くと「イヤもう入らんのや」と情けなさそうに言う。きょうはもうこれで帰ろうということになった。それから旅行もいっしょにつきあったが、とにかくすぐ足がつかれるので、あかん。Aは私に言った。「人間も、動けるときに動かんとあきまへんナァ」

(写真家・ハナヤ勘兵衛)